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何もないと思っていた地元は、本当に何もないのか 【青二才の哲学エッセイ vol.25】

問題提起編

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2020-06-13 15:21:09

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評価

言葉

 前回、「自分を変えたいと思うとき、今まで自分が積み重ねてきたもの、自分が持っている武器を忘れがちだ」そのようなことを書いた。これは自分を一つの町に変えても当てはまるように思う。今回は人の流出が止まらない私の地元を挙げさせて頂きたい。

 地元は人口5万人くらいの小さな町である。私は今は東京に住んでいるが、就職するまではずっとここに住んでいた。歴史のある町なのだが、いわゆる若者向けするような商業施設はほとんどない。私も含め、よくみんなで「何もないよね」ということをよく言っていた。

 東京に出てきてから地元に帰るのは年末の1度になった。そうした中でやっと田舎の良さに気づいた。何もないからいいのだ。違いの大きな都会と比較することによってやっと実感することができたような気がする。

 むしろ「何もない」という表現自体正しくない。そこには都会にはない静けさ、落ち着きが「ある」と思う。それに、地元にいると当たり前すぎて何も思わなかったことだが、一部残っている歴史的な街並みは非日常的な癒しをくれる。子供の頃は観光客を見て「何が面白いんだろう」って思っていたけども、今ならなんとく分かる気がする。私は紛れもなくこの町で育った人間だが、よそ者の感覚が自分の中に入ってきたのかもしれない。

 また、見渡せば海も山も川もある。よくよく考えれば、BBQやキャンプといったアウトドア、スポーツだって今よりもっと身近で手軽だった。地理的要因だけでなく、何をするにも人が少なくて安いということが大きく影響していることのように思う。最近は、誰もいない冬の海を眺めることが好きになった。強い北風から荒波が押し寄せ、空の色も重い冬の日本海は畏れすら感じさせるが、だからこそわたしを惹きつけるような気がする。その場所にある特徴は誰かにとっては短所に思えることも、誰かにとっては長所になりえる。

 少し脱線するが、長所短所というのは発言者の言い方の問題であることが多いように思う。そこに在るものを判断する際、文脈による判断、前提条件との関係もあるだろうが、なにより「いいところ(悪いところ)だと思いたい」という感情に左右される。その人がもともと持っている欲求や関心に基づいて言葉が生み出され、長所短所が分別されると言い換えることもできるだろう。わたしのように「田舎は良いところだ」と思いたいという準備ができている人は、自然と良さを見つけ出し、誰かを、自分も納得させようとする(鶏が先か卵が先かみたいな話になってくるのかもしれないが)。

 私の地元のように人の流出が止まらないところは、その場所にすでに好意を持ってくれていそうな人にギュッと絞ってアプローチをすればいいのかなと思う。都会の方が、商業施設がたくさんある方が町として優れているというような空気があって、そうでないなら悲観的になりがちだけど、誰かにとってはベターな場所ということにはなりえる(ベストとは言えない)。長所として見てくれそうな人に、住む妄想をスムーズに膨らませられそうな素材を提示することが第一歩なのではないか。

 なんでもそうなのかもしれなが、外からの目線を入れることは大事だなって思う。近くで分かることも、距離があることで分かることもある。今回は私のふるさと愛を再認識した。将来は地元で政治家になろうかしら。

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