もの・ことの本質をみんなで考える場所

コスパ論 【青二才の哲学エッセイ vol.6】

問題提起編

回答募集中

2020-01-04 15:27:07

0

keyword:

言葉

評価

観念

最近、目の前にあるいろんなことを「コスパ」がいいのかどうかで考えてしまう。コスパとはご存知の通り、コストパフォーマンスの略で、直訳すると費用対効果のことである。費用というとお金のことを扱う印象だが、私の中ではコストはお金だけでなく時間なども含まれると考えている。あらゆる場面で成果や効果を得るために犠牲にするものはお金だけではないからだ。例えば給料は時間あたりで支払われるように、お金と時間は密接な関係がある。時は金なりとも言う。目の前にあるいろんなことの「コスパ」を考えるとは、かけたお金や時間といった労力の割に得られる成果が見合っているか、つまり効率がいいか、ということを逐一考えてしまう、ということだ。

このような意味で「コスパ」という言葉を使うのは私だけなのかなと思っていたが、調べてみると若者を中心にこのような考えは広がっているらしい。お金や時間を無駄にしないために効率を良くしようと思ってのことだが、私を含めて今の若者が、お金や時間に余裕がないことの裏返しなのかもしれない。

この「コスパ優先思考」を批判する意見もある。「遠回りや無駄と思われるものの中から、予期せぬものが生まれることがある」とか「何事もやってみなければわからない」などなど。言われてみると確かにその通りという感じもする。「コスパ優先思考」の私は何かを見落としながら生きているのかもしれない。ただ、ここで一旦立ち止まって考えたい。「コスパという言葉とどう向き合うべきなのか」「そもそもコスパとは何か」だ。

ありとあらゆる物事・場面に対峙する時に考える「コスパ」(費用対効果)は、「コスト」と「パフォーマンス」について様々なことが考えられると思う。自分なりに分析してみた。

「コスト」(費用)
・お金
・時間
・肉体
・頭脳、精神

肉体とは、体の疲労のことを指す。体を動かせばもちろん体力が奪われるし、個人差があるものの、人間が動ける時間には限界がある。頭脳・精神も同じようなものだ。ずっと作業をしていると頭が疲れて、集中力、判断力などが落ちてくる。こちらも個人差はあるが、行う物事・環境によっては消耗が早く、ストレスから精神に異常をきたす場合もあろう。例えば、好きではないことを行う、プレッシャーが大きいことを行う、人間関係がうまくいってない場所での業務、などが挙げられる。逆もまた然りで、好きな物事、得意な物事、好きな場所ならいつもより頑張れるということもある。

成果や効果を得るための行動として人間が介するものであれば、お金や時間と並んでこれらも必ず考慮に入れなければならないと考える。有限なものであり、消耗した肉体や精神を回復するにはそれ相応の時間が必要だ。過労死・労災の問題はこれらを軽視した結果ではないだろうか。健康でなければ期待される成果は出せない。お金と時間以外にこれらを挙げた理由はここである。

「パフォーマンス」(効果)
・具体的な物、サービスを得る
・欲求を満たす(食欲、物欲、生理的欲求、知識欲など)。快楽、心地良さ、満足感を得る。
・経験を得る。能力、技能の向上。(知恵、体力、技術、精神力)
・お金を生み出す(企業で言うなら売上)
・お金の削減
・時間の削減
・精神的ストレスの軽減&回復
・肉体的ダメージの軽減&回復

コストとパフォーマンスの関係について具体例を挙げてみたいと思う。
(コスト → パフォーマンス で表す)
・自分へのご褒美で高い靴を買う(お金 → 物を得る、物欲を満たす、ストレスの軽減)
・ライブに行く、芸術鑑賞(お金、時間 → サービスを得る、満足感)
・勉強をする(頭脳、精神、時間 → 能力、技能の向上)
・企業が事業拡大のために人員を増やす(お金 → 売上)
・家事の時間削減のために食洗機を買う(お金 → 時間の削減、ストレスの軽減)
・ジムに通う(お金、時間、肉体 → サービスを得る、体力の向上)
・工場で肉体労働をしていた箇所でロボットを導入する(お金 → お金や時間の削減、ストレス軽減、肉体的ダメージの軽減)
・オフィスのリフォーム(お金 → 心地よさ、ストレスの軽減)
・友達に誘われて飲み会に顔を出す(お金、時間、嫌な飲み会なら精神 → 快楽、心地よさ)

ざっと挙げてみるとこんな感じだろうか。コストというものが単にお金だけではないということから出発すると、物事のコスパとはかなり多角的なものである。さらに言うなれば、コストに対してのパフォーマンスは長い時間にわたって発揮されるものもあるし、すぐに現れるとは限らないものもある。(高い靴は長持ちすることが多い。事業拡大のために増員した人は経験を積む必要がある)また、自分の潜在能力の中に蓄積されていて自覚できるものではないかもしれない。ある日突然花開く可能性もある。(勉強したこと、ライブや芸術で得た感性、飲み会での交流)考え方次第では、費やした労力は「コスト」ではなく「投資」と捉えることもできるだろう。「コスパ優先思考」を批判する人たちの気持ちもなんとなくわかる気もする。これだけ事実関係が入り組んでいると、何かをやる前から一人の人間が全部整理して判断するのは難しい。「コスパが良い」という時のその「良い」を全て捉えるのは大変なことである。試行錯誤しながら遠回りすることも、とりあえずやってみるという心構えも必要なことであろう。

ただし、今の社会にはもっとコスパ、効率を求めていかなければならないところがたくさんある。働き方は特にそうだ。働き方改革は進められているが、無駄な会議、慣習、過剰なサービス、過度な報連相、などが残る企業はまだまだ多いように思う。全部が全部必要ないと言いたいわけではないが、どちらにせよ、かけるコストとパフォーマンスの因果関係を多角的に捉える必要はあるだろう。働き方以外のあらゆる場面において考えるコスパにおいても同じである。また、コスパを考える時は、対象の物事を実行する前に考えることが多い。望んでいるパフォーマンスそのものが正しいことなのか、本当に望ましいものなのかどうかを考慮する必要もあるだろう。前提条件が間違っていては元も子もない。こうして考えると、私には、目の前にあるもののコスパを考える前に考えるべきことがあるのかもしれない。


【モヤモヤの泉】
・私は「パフォーマンスが良いこと、効率が良いこと」を無条件に良しとしているがそれで良いのだろうか。生きていく上で、みんながみんなそんなにあくせく頑張る必要はないのかもしれない。
・コスト、パフォーマンスで測るものとして出した例は、定性的なものも多いが、定量的に測ることはできないだろうか。
・コストと投資をどう分けたら良いか。分けることは可能か。かける労力の全てはコストでもあり、投資でもあると、極論すると言えなくもないだろうか。

問題提起編のコメント

削除依頼は理由とともに管理者までお願いします